龍馬、寺田屋で襲撃される 歳三は何処に
✱この章(龍馬と歳三のすれ違いを探る)は、歴史年表に基づき両雄が接近した拠点を探り出し、実際に京の街を徒歩で測ったものです。
両雄の接近距離、寺田屋と西本願寺---2回目のニアミス---
その間8.4キロ、約8,400歩、約84分(100m/分計算-かなり早い歩き方-)
◆坂本龍馬 / 慶応2年1月19日、伏見・寺田屋を宿とする。同年1月22日、薩長同盟締結。1月23日、龍馬・三吉慎蔵、寺田屋で幕府伏見奉行所取り方百数十人に囲まれる。2階にお龍が知らせに行くが、間もなく取り方に踏み込まれてしまう。龍馬たちは拳銃と手槍で応戦しながらなんとか逃げのびた。その後、大阪から船で鹿児島に渡り、あの有名なお龍との湯治旅行ハネムーンが始まる。
◆土方歳三 / この事件に新選組の関わりはなく、伏見奉行が肥後守であることから、たまたま同じ官位の松平容保が誤認され、それにより配下の新選組が疑われた。しかし、この1月23日、新選組の行動記録が全くないのもおかしい。ただし3日後の26日、近藤勇・伊東甲子太郎・尾形俊太郎・篠原康之進ら、広島に向かうとだけ記録がある。また新選組は昨年の3月から屯所を西本願寺(太鼓楼)に移しており、新選組自体が平常ではない状態だったことは確かである。

-----龍馬は寺田屋。歳三の記録はないが、西本願寺にいたと考えられる。新選組が池田屋に斬り込んでから1年半余りが経つが、やはり年表にも小説にも直接の接点は見当たらない。襲撃に遭った一瞬。龍馬の脳裏をよぎったのは池田屋事件ではないだろうか-----
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